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第一巻を大幅加筆!!
A5判 表紙フルカラー・本文1C 68P
頒布価格 1000円
ストーリー
これは、緋色の翼と三姉妹が織り成す大空の物語。
山梨県玉幡。
甲府盆地の外れに位置するこの街には、
戦前から拓かれた小さな空港がある。
そこは自らの腕ひとつで大空を切り拓く、
多くの独立系飛行業者たちが集う場所。
どんなに難しい仕事でも金と気分次第で請け負う
空の荒くれ者たちのことを、
人々は親しみをこめて“甲斐賊”と呼んでいた。
天羽夏海は、飛行場のほとりに住む高校二年生。
亡き父が駆っていた飛行機「ステラ」を受け継いだ夏海は
姉の美春、妹の秋穂と共に空の便利屋として
新たな生活のスタートを切る。
彼女の夢は、世界中の空を渡り歩いた父が
唯一立てなかった場所……南極大陸の空を、自由に飛ぶこと。
その夢をかなえる日まで、夏海は天性の操縦勘を武器として
ステラと共にあまたの飛行へ挑んでいく。
緋色の翼が導く先に、はるかなる夢への針路があると信じて。
登場人物
天羽夏海 Amou Natsumi
天羽三姉妹の次女で、県立甲斐杜高校2年生。玉幡飛行場を拠点に空の便利屋業を営む『ステラエアサービス』パイロット。天性の飛行勘の持ち主だが、操縦技術についてはまだまだ発展途上。夢は父が唯一立てなかった南極大陸の空を自由に飛ぶこと。
天羽美春 Amou Miharu
天羽三姉妹の長女。『ステラエアサービス』社長。実務能力に長けており、5ヶ国語を自在に操る才媛。合気道の有段者で、本気で怒ると玉幡一怖い。そのため空の荒くれ者として知られる玉幡の自営飛行士“甲斐賊”たちも、彼女には頭が上がらない。
天羽秋穂 Amou Akiho
天羽三姉妹の三女で、市立釜無中学校2年生。地形や気象などあらゆるデータから瞬時に状況を判断する空間把握力に優れており、名目上ではお手伝いという立場だが、『ステラエアサービス』における飛行計画担当として夏海の飛行をサポートする。
天羽冬次郎 Amou Toujiro
三姉妹の祖父で、『ステラエアサービス』会長、玉幡飛行業組合特別顧問。元・帝国陸軍准尉。復員後、三式指揮連絡機を駆って闇米の運送屋を営んだ、玉幡飛行業者の草分け的存在。凄腕の航空整備士で、長年の経験をもって三姉妹を支え続ける。
名取陸生 Natori Rikuo
三姉妹の幼馴染。県立甲斐杜高校2年生。将来は一人前の航空整備士になることを夢見て、冬次郎を師匠に玉幡飛行場でアルバイトをしている。自称・天羽美春親衛隊の筆頭隊員。
ステラ(国際キ-76三式連絡機)
終戦による接収の後、調布飛行場の片隅で眠っていた所を冬次郎が入手した機体。外観的には原型機からそれほど違いは無いが、内部構造は冬次郎の手によってまったく別物の機体へと生まれ変わっている。
冬次郎の息子・芳郎の死後は格納庫の裏に放置され、風雨によって朽ちるに任せる状態となっていた。長い時をへて天羽三姉妹が受け継ぐこととなり、かつての鮮烈な赤色に塗り直された「ステラ」は、天羽夏海の手によってふたたび大空へと飛び立つ日を迎える。
原型機解説
1941年5月に試作1号機が完成した帝国陸軍の連絡機。
高いSTOL(短距離離着陸)能力をもつドイツの連絡機、フィーゼラーFi156シュトルヒに影響を受けた帝国陸軍は、同様のコンセプトを持つ機体の開発を日本国際航空工業に発注。わずか5ヶ月という短期間で完成したのが本機である。
主翼上面の固定スラット、チェーン駆動のファウラー式フラップなど独自の工夫を盛り込んでいた三式指揮連絡機は、4m/s程度の向かい風があればわずか50mほどの滑走距離で離着陸ができるという優れたSTOL性能を示し、その後の比較試験でも多くの点でFi156シュトルヒを上回る成績を残した。
なお「ステラ(Stella)=星」とは、連合軍が本機につけた識別コードネームである。
原型機緒元
全長:9.56m 全幅:15.0m 全高:3.60m(水平) 最大総重量:1,620kg
エンジン:日立ハ42Ⅱ 空冷星型9気筒エンジン(280hp) プロペラ:木製固定ピッチ2翅(直径2.50m)
最高速度:178km/h 失速速度:40km/h 実用上昇限度:5,630m 航続距離:750km(最大)
乗員:3名(操縦1名、同乗2名)
世界設定
■玉幡飛行場
【名称】県営玉幡飛行場
【所在地】山梨県玉幡
【空港種別】その他の空港
【運営】玉幡飛行業組合(県委託)
【運営時間】8:00-19:00
【標高】260m/853ft
【IATA/ICAOコード】TMH/RJYT
【滑走路】1本(35/17、滑走路長2000m特殊アスファルト舗装)
【ILS】無し(無認可設備あり。周辺住民の協力により非常時にはIGS進入可)
【定期運行路線】無し
【格納庫】5棟(恒久施設のみ、敷地内にプレハブ建築の格納庫が20棟以上)
【ターミナルビル】1棟(2階建、屋上に管制塔あり)
【旅客施設】無し(ターミナルビル1階にカフェ「エアポケット」併設)
ターミナルビル
格納庫
■「ステラエアサービス」年表
1910 | 徳川好敏大尉・日野熊蔵大尉、日本で初めて動力飛行に成功 |
1913 | 帝国飛行協会設立 |
1914 | 第一次世界大戦勃発 |
1921 | 「航空法」公布。飛行従事者のうち自家用飛行士は13歳以上、事業用飛行士は16歳以上と定められる |
1922 | 日本初の航空会社「日本航空輸送研究所」、水上機による大阪-高松間の定期運送を開始 |
1923 | 関東大震災。数少ない飛行士が救援物資や信書の輸送を担う |
1928 | 日本初のフラッグシップ航空会社として「日本航空輸送株式会社」が設立される |
1929 | 日本初の飛行場が大阪・木津川尻に完成。以降、全国で飛行場の建設ラッシュが続く |
1933 | 山梨県中巨摩郡玉幡に民間飛行場が開設される |
1936 | 「山梨航空研究会」発足。正式に「玉幡飛行場」として認可 |
1937 | 朝日新聞社「神風号」、東京-ロンドン間を94時間17分で飛行し当時の長距離最短飛行世界記録を樹立 |
1938 | 東京帝大「航研機」、11,651kmの周回飛行を62時間22分で達成し当時の長距離周回飛行世界記録を樹立 |
1940 | 4月、玉幡飛行場に熊谷陸軍飛行学校甲府分校が設置 6月、天羽冬次郎、陸軍に志願 |
1941 | 太平洋戦争勃発 |
1942 | 1月、冬次郎、航空整備兵に転科。所沢の航空整備学校で訓練を開始 6月、ミッドウェー海戦 9月、冬次郎、第五飛行師団隷下の独立整備中隊に所属しビルマ戦線に出征 |
1944 | 3月、インド北東部インパール攻略を目指すウ号作戦が発動(~7月) 12月、イラワジ会戦の開始(~翌3月) |
1945 | 3月、東京大空襲 7月、甲府空襲。市街地が猛爆を受けるも、奇跡的に山梨農林高校は被爆を免れる 8月、広島・長崎に原爆投下。アメリカ第20空軍、日本本土の鉄道輸送路に対する本格爆撃を開始 9月、日本無条件降伏 11月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が東京に設置される |
1946 | 1月、GHQ、「日本各地の鉄道路線が壊滅状態にあり短期的な復興は不可能」と本国に報告 4月、アメリカ連邦議会において航空関連各社のロビー活動を受けた議員が「日本の民間航空の早期解禁」を主張 8月、GHQ、日本本土上空の民間飛行を解禁。復興を促進するため中小航空業に配慮した新たな航空法を発布 12月、冬次郎、ラングーンでの抑留生活を終えて日本に復員 |
1947 | 1月、冬次郎、玉幡に帰郷。旧・玉幡飛行場を拠点に闇米の運び屋を営む 2月、GHQ、接収していた旧日本軍機の民間払い下げを開始。以降、旧陸海軍搭乗員が玉幡に集まりはじめ、やがて玉幡飛行場は首都圏への一大物流拠点となっていく 9月、「カスリーン台風」による水害に玉幡の飛行士たちが救援飛行 |
1948 | 4月、終戦直前に空爆され、山体崩壊により途絶していた国鉄中央本線の勝沼-大月間が約2年半振りに復旧。甲信地方から首都圏への食料輸送を担っていた玉幡飛行場がその役目を終え、以降は日本各地への小口配送に方針を転換 6月、福井地震。玉幡の飛行士たちが救援飛行 |
1950 | 朝鮮戦争勃発。一部の飛行業者が国連軍の物資輸送を担う |
1951 | 9月、「日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)」締結 10月、玉幡飛行業組合設立。初代組合長、岩本徹三 |
1952 | 日本空輸マーチン2-0-2型機「すい星号」、伊豆大島三原山に墜落 |
1956 | 黒部第4ダムが着工。玉幡飛行業組合、工区への物資輸送を請け負う |
1959 | 「伊勢湾台風」による水害に玉幡飛行業組合が救援飛行 |
イメージ集
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